参加1440チームによる自主対戦方式の予選と、全国8ブロックの最終予選を経た14チームによる最終ステージ。第17回ポップアスリートカップは12月9日、10日に明治神宮野球場でファイナルトーナメントを行い、新家スターズ(大阪)が初優勝を飾った。夏の高野山旗と全日本学童大会を制していた新家は、これで全国3冠。今大会も危なげのない戦いで4試合を制し、夏王者の貫録を示す形となった。
(写真&文=大久保克哉)
優勝=初/新家スターズ(大阪)準優勝/大崎ジュニアドラゴン(宮城)
3位/野沢浅間キングス(長野)
3位/岡山庭瀬シャークス(岡山)
新チームも見据えつつ
「全国」と名のつく大会でのV決定の幕切れも3度目とあってか、概ね安泰の勝ち上がりと内容がそうさせたのか。最後の打者を遊ゴロに打ち取ってから、マウンド付近に新家スターズの輪ができるまでに少々の間が生まれた。
貴志奏斗主将と山本琥太郎の胴上げバッテリーは抱き合うでもなく、近くで目を見合わせてニヤニヤ。そこへ内外野とベンチから仲間がなだれ込んできて「歓喜の輪」となるも、夏の大田スタジアム(全日本学童V決定時)にように涙や魂の雄叫びはない。塁審に促されてすぐに整列、挨拶となった。
新家の四番・山本は2回戦で2ラン、準決勝では先制犠飛(写真)
「最高です!」と異口同音に語った主力のV戦士たち。不動のリードオフマン・宮本一希は、最大タイトルの夏の全日本学童制覇以降の日々をこう振り返った。
「高野山旗とマクド(全日本学童)と近畿大会とポップアスリート(ポップ杯)の4冠をみんなで目指していたので、気が抜けるとかいうのはなかったです」
新家は新チームのエース候補・庄司七翔も1回戦から登板。貴重な経験を積んだ
終わってみれば、冬の全国舞台でも新家が頭ひとつ抜けていた。与四死球や落球、けん制死など、夏にはほぼ見られなかったミスも散見された。しかし、さらにミスを重ねて傷口を広げるようなことがなく、大勢に影響することはなかった。
6年生の卒団式は新年の3月だが、活動の主体は9月から5年生以下へシフトしている。準決勝以降は新チームの藤田凰介主将が従来の左翼ではなく、捕手でスタメン出場するなど、新年に向けた足場も固めつつの初Vだった。
昨夏日本一の石川・中条ブルーインパルスは2回戦敗退。倉知幸生監督(写真上=左)は、新家との対戦を期して開会式前に千代松監督と握手も…。新チームは5年生の北翔輝(下)らがリードしていく
夏以上に安定した投球が光った城村颯斗は、優勝の一番の要因を問われてこう答えている。
「守備が堅かったことだと思います」
牙城は崩せなかったが
新家と準決勝で戦った野沢浅間キングス(長野)と、決勝で戦った大崎ジュニアドラゴン(宮城)は、どちらも夏の全日本学童で初戦を突破していた。そんな実力者でも新家と相対すると、失点につながる手痛いミスが出てしまった。
野沢浅間は合併1年目、6年生はこれが最後の大会だった。
「チャンスはつくったんですけど、あと1本がなかなか。守りはちょっとバタバタしてしまったんですけど、同じ条件(朝露で濡れた人工芝など)でも新家さんはしっかりしてましたね」(戸塚大介監督)
それでも小山翔空主将が投打で奮闘(関連記事➡こちら)して劣勢ながらも好勝負に。そして学童野球最後の攻撃となるだろう、1対4で迎えた最終回には意地も見られた。五番・市川耀斗が左前打を放つと、続く高橋玲凰が四球を選び、重田志希も左前打(下写真)で一死満塁と、長打なら同点という場面までつくった。
前例にない1年も、終わってみればあっという間。戸塚監督も感慨深げだった。
「志の高い子たちを最後は勝たせてやれなくて…。でも、この1年で成長できたかな。この悔しい気持ちが中学に行っての糧にもなると思うので『よくやった』と話してあげたい。コーチ陣も一生懸命で技術もよく知っているし、保護者も協力的で私は助けてもらってばかり…」
大崎ジュニアの熊谷遙(上)は準決勝で4回3失点に2ラン。左利きの遊撃手・黒澤朔主将(下)は決勝でチーム唯一のヒットを放った
大崎ジュニアは2年前に続く3位。4大会連続7回目の出場だった今夏の全日本学童では、過去2度優勝の多賀少年野球クラブ(滋賀)に2回戦で逆転勝ち。今大会では準決勝で前年王者の岡山庭瀬シャークス(岡山)に大勝と、堅守に加えて小技も駆使しながら相手のミスに乗じて攻め込むうまさが光った。就任13年目の岩崎文博監督が語る。
「(得点を)取れるところはしっかり取ろう、というのがウチの野球。平日練習は1日で、あとは週末だけですけど、厳しさと自主練習に励むのが伝統。今の6年生も、先輩たちがつくり上げた土台にしっかり乗ってやってくれたと思います。でも、新家はみんなうまい。持っている力をそのまま出し切れる強さがある」
夏の全国常連の大崎ジュニアをもってしても、新家の牙城は崩れなかった
決勝は新家の3投手を前に1安打。敵失や四球で得た走者も、ついに本塁にかえすことはできなかった。
新家は貴志主将が最後を締めて、2日間4試合を継投で勝ち切った。夏に続いて神宮でも、保護者と選手たちの手で空に舞った千代松剛史監督は、喜び爆発というより安堵の色が濃かった。
「6年生はホンマにようやりましたわ。これ以上はもう、何も言うことありません。あとはそれぞれね、中学野球に向かって良い準備をしていってもらえたら」
王者を急襲した滋賀の新興軍
新家は全日本学童とポップ杯の全10試合を通じて、先制を許した試合は2試合しかない。今大会の1回戦、その機先を制してみせたのが笠縫東ベースボールクラブ(滋賀)だった。
笠縫東ヤンキースとイーストフレンズの合併から5年目。至難の関西予選を経て神宮に初めてやってきた笠縫東BBC
1回表、二番・中木辰弥(5年)が四球を選んで二盗。そして三番・渡部叶成の中越え二塁打で先制すると、五番・木村蓮大が右翼線へ三塁打で2点目を奪う。先発右腕の渡部はその裏、タイムリー3本で逆転を許したものの、2回は2三振を奪うなど3人で切り抜けた。
「神宮はとてもプレーがしやすかったです。緊張もしたけど、先制打も神宮やから打てたと思います」(渡部)
投打で躍動した笠縫東・渡部はMAX107㎞。「やり切った感があります。これまで盛り上げてくれた監督とみんなに『ホンマにありがとう!』と伝えたいです」
新家は3回裏に宮本の本塁打や四番・山本の中越えタイムリーなどで加点。5回にも長短打で3点を加えて7点差のコールド勝ちに。笠縫東は敗色濃厚となってきた終盤に、控え組が次々と出場した。
「序盤の4失点までは想定内だったので、その段階でもう1点を奪えていたら違う展開もあったのかな…。まあ、こういう大きい舞台まで、みんなよくやりました。滋賀に残っているチームのみんなにもお礼を言いたい。ただ、体調が悪かった子(瓜谷涼介)とウチの娘(彩寧)の2人だけ、神宮でプレーさせてあげられなかったのが一番辛い…」
敗退で涙を流す6年生たちを見守りながら、中原亮一監督(下写真)はぐっとこらえるように唇をかみしめていたのが印象的だった。
フェアプレーを推進
ベストマナー賞という表彰部門があれば、このチームが間違いなく受賞していたことだろう。
東北代表のあじゃらBBC(青森)だ。「温泉とスキーの町」として知られる南津軽郡の大鰐(おおわに)町で2007年に創立。10年後の2017年には成田晴風(弘前工高・西武4位指名)を擁して、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会に出場している(初戦敗退)。
6年生6人のあじゃらは下級生4人がスタメン出場。4年女子の對馬美羽もヒットを放つなど新チームに明るい材料も
それ以来のメジャーな全国大会となる今回は、前年王者の岡山庭瀬に力で押し込まれて1対4の敗北。全国1勝はお預けとなったものの、山本智監督は試合中と変わらずに落ち着いた口振りだった。
「残念な結果ですけど、ぜんぜん悔いありませんし、子どもたちはみんな楽しんでやってくれたと思います」
試合中の声掛けはどこまでも前向きで手短だった。敵味方を問わずに好プレーを称える姿も印象的で、試合後には保護者の応援席から真っ先に相手チームへ熱いエールが送られた(下写真)。
「ウチは応援とフェアプレーには自信があります。相手をリスペクトしながら、真剣勝負の中で切磋琢磨し合う。それで負けたら、みんなで理由を考えて次にまた向かっていけばいいじゃん、という考え方」(山本監督)
大鰐町ではもともと、小学校に野球部があり、同監督の息子も部活動で野球をしていた。しかし、少子化から地元の4校統合が決まり、同監督が現チームを創立。2016年には運営母体を総合型地域スポーツクラブ 「Roots大鰐」として法人化している。
あじゃらの(左から)山本監督、對馬亮コーチ、小野敏樹コーチ
コーチ陣は30代。還暦を迎えた山本監督は指導歴15年を超えるが、今のご時世になっての方針転換はない。自らも手本となってのフェアプレーの推進も、当初から不変だという。
「子どもは大人の鏡写しだと思っています。大人が腐ると子どもも腐る。まずは大人たちが、人としてちゃんとしていないといけません」
中学部活動の地域以降を見越して、今夏には中学軟式クラブ「Roots J.B.C」を結成。新年度に始動する予定だ。
「教え子たちが地元に何人か残っているので、中学を手伝ってくれることになっています」
実績だけではない。人としての模範がいるチームには卒団生だけではなく、町民たちの協力や支援も多々あるという。