「楽しい」の対義語は「厳しい」ではなく、「つまらない」です。昨今の学生野球の現場では、楽しいか、厳しいか、で二分するような極端な議論や是非、反目が広がっている気がしてなりません。メンタルコーチングの応用編、第1弾はそもそもの「厳しさ」に迫ります。
[監修/諸星邦生]
vol.7
叱ることと、責めることの違い
「今の時代、指導する側が厳しくできなくなって…」
50歳の元メジャーリーガー、イチローさん(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、高校球児たちを指導する動画の中でそういう話をしていました。そして、このように結んでいます。
「自分たちで厳しくするしかないんですよ」
今回の連載を読んでいただくと、イチローさんのその言葉の真意や深さにも気付けるのではないかと思います。
「厳しい」の意味
みなさんは、「厳しい」という言葉から何を連想されますか。ハードな練習、引きつった選手の顔、指導者の怒声や鬼の形相、スパルタ指導など、いろいろと浮かんでくると思います。国語の辞書をひいてみると、次のようにありました。
「失敗や過ちなどを少しも許さないこと」
「厳格」
「程度が甚だしいこと」
「容易ではないこと」
「張り詰めている様子」
「緊迫している様子」
正しい意味を知ると、イメージも具体的になるはずです。さらに意訳も加えて、野球チームにおける「厳しい」とは、おおよそ次のような状態を指すのだと私は定義しています。
失敗を許さず、行き過ぎた指導で威圧的に緊張感を与え、選手は考える隙間がない――。
実は私も、高校野球の監督時代に長いこと、それを常態化させていました。試合でのミスを必ず責め立てる。それによって選手の気持ちを刺激し、奮い立たせようと考えていたのです。
しかし、それが逆効果であることを私自身が理解するまでに、かなりの時間を要しました。結果として選手は「ミスしちゃいけない!」「ミスしたら怒られる!」というマイナスの心理に陥っていたことも知らず、間髪入れずに大声での指摘を繰り返していました。それでどれだけ、選手の可能性をつぶしてきたことでしょう。
では、「厳しい」の何が問題なのか。これをメンタルコーチングの視点から解説していきたいと思います。
失敗を全否定しない
まず問題なのは、「失敗・過ち=いけないこと」という考え方。これが、チャレンジを恐れてしまう原因になるのです。もちろん、指導者も選手も求めているのは成功であり、失敗は推奨されたり、称賛されるものではありません。ただし、失敗の経験から学ぶことというのもたくさんあるのです。指導者がそういうマインドを持つと、「許すこと」ができるようになっていきます。それによって、選手が果敢にチャレンジできる環境が整うことにもつながります。
果敢にチャレンジできる環境――これは選手にとって決して、気楽なものではありません。チャレンジとは「挑戦すること」「困難な問題や未経験のことなどに取り組むこと」(国語辞典より抜粋)。容易ではないし、相当な勇気を必要とするはずです。つまり、選手にとっては厳しい状況が自然と生まれているのです。
では、実際に試合中にミスが起こったときに、指導者はどうするべきか。その瞬間に「切り替え」を促すことが大切です。反省や振り返りは、試合が終わってからでもできますね。試合中は次のプレーへの準備を優先することが、成功の確率を高め、チャレンジにもつながっていきます(※「切り替え」の詳細は次回に)。
また、試合での選手のミスについては、その選手を起用した指導者が責任を感じることができるようになると、言葉掛けも変わってきます。私は監督の時代に、専門のメンタルコーチを招いた時期がありました。以下は、そのコーチと交わした会話の一部です。
コーチ「なぜ、試合でミスした選手をそんなに怒るんですか?」
監督「次にミスをさせないためです」
コーチ「でも、あの選手を試合に出すと決めたのは監督であるあなたですよね。ですから、あなたの使った選手がミスをするのは、あなたの責任です」
こう指摘されて私はハッとしました。確かにそうなんです。後から考え直してみても、反論のしようがありませんでした。そして当たり前のことを悟ったのです。『試合でミスをしない選手はいない(完璧などありえない!)』ということを。
それを境に監督の私は激変していきました。試合中のミスを怒ることも、ピタッとゼロに。私が鮮明に覚えているのですから、当時の教え子たちには衝撃的なくらいに面食らった思い出でしょう。
追い討ちの一言は無用
次に問題なのは、「張り詰めている様子・緊迫している様子」(=厳しい)です。
試合中のチャンスやピンチの状況で、指導者のこういう言葉をよく耳にします。
「ここで抑えなきゃ負けだぞ!」
「ここで打たなきゃ交代だ!」
指導者とすれば、選手を叱咤激励しているつもりで罪悪感もないはずです。ところが、選手はそれで萎縮してしまうことが少なくありません。なぜかというと、状況がすでに緊迫しているからです。
そこへ追い討ちをかけるように、指導者がプレッシャーを与えて、良い結果が生まれるのでしょうか。むろん、成功もあるでしょうが、選手にチャレンジする意欲が芽生えることはまずないと思います。
チャンスやピンチのプレッシャーの中で、最善のトライをさせる。これだけで十分、「厳しさ」として成立するのです。選手にとっての厳しさは、自然発生的に設定されるものだと私は考えています。
スポーツに本気で取り組んでいれば、「厳しさ」は自ずとやってくる。指導者にその認識がないから、選手に過度なプレッシャーを与えたり、行き過ぎた指導になってしまうのではないでしょうか。
ピリッと緊張感を与えなければ、練習に身が入らず、成果も上がらない。現場には、そういう考えが多いことも承知しています。かつての私もその一人でしたから。しかし、緊張感というのは本来、各々が自分の中で感じるものであって、人から与えられるものではありません。
トライできる環境から
さまざまな方法を試し、失敗も重ねながら解決を目指していく。そういう意味で「トライ&エラー」という言葉が、スポーツに限らずビジネスシーンでも使われています。
「トライ」とは、成功したか失敗したかの結果は関係ありません。私が学童野球で指導したときは、トライできる環境をつくることから始めました。たとえば、対外試合の日の打撃について。
まずは選手たちに提案します。
「アウトになるときは、バットを振ってアウトになろう!」
「打席の選手がバットを振ったら、みんなで拍手してあげよう!」
次に、目標の理由と手段を具体的にします。
「ファーストストライクがヒットになる確率が一番高いんだよ。だから、今日の目標はファーストストライクを振ること!」
これを全員が達成したこともありました。ボール球を振ってしまったとしても、バットを振ったことに違いはないので目標達成です(叱るのは指導者の矛盾)。
選手がうまくいかないとき(=エラー)こそ、指導者の出番です。経験が乏しい小学生にとっては、対外試合の打席に立つだけで「厳しい状況」になっているケースもあります。さらに目標も設定されているのですから、十分に厳しい中でトライしたことをまずは認めてあげる。その上で、一緒にエラーの理由を探り、次の手段をともに考えてあげることが大切になります。
叱ることも必要
選手を叱ることが、必ずしもNGというわけではありません。人を傷つける言動と物に当たる行為には、厳格な対処が必要です。
人格形成の途上にある小中学生は特に、何の気なく不適切な言葉を発することがあります。また、試合中のミスやうまくいかないことに対して、他人を責めたり、物に当たり散らすことも珍しくありません。
そういうときは、指導者は大声を出してでも「何やってんだ!」「やめろ!」「何でそういうことを言うんだ!」と厳しく注意していいと思います。野球以前に、人としての問題ですから。
その場が収まったら、人や物を大切にすることが自分を大切にすることもつながる、ということを大人として伝えてあげてほしいと思います。同時に、当人の話をきちんと聞いてあげることも大切です。なぜ、そのような言動をしたのか、そのときにどういう気持ちだったのか…連載の第2回・3回でお伝えした「傾聴」や「引き出す」というスキルの出番です。
指導者に求められるもの
では最後に、指導者に求められる「厳しさ」を具体的に定義して、まとめにしたいと思います。
■選手にチャレンジさせる環境を与えること
■緊迫した場面と向き合う勇気を選手に持たせること
■トライ&エラーの積み重ねで成長を促すこと
イチローさんが言っていた「自分たちで厳しくする」とはおそらく、上記のようなことだと思います。でも、バチバチに選手に緊張を与える指導をしてきた方々は、戸惑うかもしれません。そこで、より具体的で初歩的な極意をいくつか補足として紹介しておきます。
■怒ることがいけないのではなく、責めるのがNGであると把握する
■寛大になる(許容範囲を広げる)
■選手と同じ目線に立って厳しい状況を知り、そこに寄り添う
[野球まなびラボ理事]
もろほし・くにお●1978年生まれ、東京都出身。大田区の美原アテネスで野球を始め、6年時から硬式の大田リトル・シニアへ。東海大菅生高で3年夏に九番・左翼で甲子園2回戦まで進出、国際武道大で4年春にメンバー入り。卒業後は保健体育科の教諭となり、東海大菅生高コーチを経て千葉・我孫子二階堂高へ。硬式野球部の監督を20年務めて、2022年夏に(一社)野球まなびラボの理事に就任。ボールパーク柏の葉にて「体軸×野球教室」や「中3塾」を主宰するほか、出張指導やメンタル講座も。1男1女の父
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