あるべき今と、これからの学童野球界をつなぐ輪『監督リレートーク』は8人目にして初めて、チーム内でバトンが渡ることになりました。指揮官の交代は、学童野球ではよくあること。ここ数年で全国トップクラスに昇華した千葉・豊上ジュニアーズは、悲願の日本一を期して来年度から指導陣も新たな配置に。原口守監督は、5年生チームのヘッドコーチに就任することになりました。
(取材・構成=大久保克哉)
はらぐち・まもる●1976年、埼玉県生まれ。熊谷市立奈良小でソフトボールを始め、奈良中の軟式野球部、鴻巣高を通じて中堅手。卒業後は恩師の故・須藤章雄監督(当時)の誘いで鴻巣高の外部コーチを務める傍ら、社会人硬式・都幾川クラブで招待選手として3年間プレーした。2011年に埼玉県から千葉県柏市に移住、13年に松葉ニューセラミックスで父親コーチとなり、低学年監督を経てトップチーム監督に。18年から柏市選抜コーチも務め、2021年に豊上ジュニアーズの5年生チームのコーチに就任。翌22年秋の県新人戦を制して関東大会出場。同メンバーを率いて23年度は6年生チームの監督を務める
[千葉・豊上ジュニアーズ]
原口 守
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髙野範哉
[千葉・豊上ジュニアーズ]
たかの・のりちか●1966年、北海道生まれ。千葉県松戸市に移り住んだ小4から野球を始め、県柏高卒業までプレーした。2006年、長男とともに豊上ジュニアーズに入団してコーチに。低学年の監督を2年間務めた後、高学年の監督となって2016年にチームを全日本学童大会に初めて導く。これを機に交流の輪も広がり、選手が増えてきた組織の再編も主導。全日本学童大会は19年から2年連続で銅メダル、3大会連続出場となった2022年は8強入り。現在は4チームが活動する中で、23年度は3年生以下のチームの監督。来たる24年度からは総監督として各チームの橋渡し役も務めながら、6年生チームを再び率いることが決まっている
大ボスが総監督に
豊上ジュニアーズは現在、6年生、5年生、4年生、3年生以下の4チームで活動をしています。そして以前から私も提案していたことですが、組織をここまで強く大きくしてきた大功労者、髙野(範哉=現3年生チーム監督)が、来年度から「総監督」という新たなポジションに就いて、全チームの指揮を執ることに。
その髙野からの指名で、今年度の代表チーム(6年生)の監督を務めた私は、来年度は5年生チームのヘッドコーチに。ここ数年で急激に大きくなった組織ですから、試行錯誤の部分も少なからずあるのだと思います。
以上のことから『学童野球メディア』編集部にも相談の上、監督リレートークは私の希望によって、同一チーム内でのバトンタッチとなりました。ご理解をいただけると幸いです。
豊上はやはり、良くも悪くも髙野のチームである――。外様のコーチとして招かれて3年目の私が、代表チームの監督をさせてもらっての率直な感想がそれです。チーム内や市内県内だけではなく、県外からもそう思われている。それを実感することも多い1年でした。
専用グラウンドでの平日練習前、夕闇で草むしりをする人物が一人。それが原口監督だった。「別に珍しいことではないです」
「代表監督」の大役を担った私に対して、親交のあるチームや指導者から励ましの声も多くいただきました。一方で、どこか引っかかるような言葉や、自分にとっては好ましくない雑音が耳に入ってくることも正直、ありました。
また私自身も、髙野がつくりあげた豊上の野球の継承を最優先の使命としてきました。改革と呼べるようなものは必要性すら感じていませんでしたし、特別に新しいことをした覚えもない。もちろん、私なりに学童野球の指導哲学があります。
視野が広がった6年生
『野球(技術)だけをしていても、上達しないし、良いプレーにもつながらない』――。
たとえば試合中の守備や走塁。ボールだけを見ていたら、ファインプレーやナイスランにはつながりませんよね。守備中なら、打者のタイミング、スイング、足は速さ…。自分が走者なら、投手の投球軌道、けん制パターン、捕手の肩、ステップや握り替えのスピード、各場面での野手の位置や捕球体勢…。子どもたちの感じる「視野」が、上達を生むカギだと私は考えています。
そういう意味では、指導において人間性を重視している部分もあります。もちろん、小学生ですから、人間性を否定するようなことはしません。私の経験則では、人の話を聞けて且つ行動できる選手、会話のできる選手の上達は格段に早く、チームの中心になっていく。たとえば、試合でミスしたプレーを繰り返し練習する選手と、ミスそっちのけでやりたいことだけをやっている選手。落ちているゴミに気付くか気付かないか、またそれを拾うか、見て見ぬふりか…。そうした違いが、上達度とイコールであることがとても多いのです。
今の6年生たちには、そういったことが備わってきたことを実感しています。練習の準備や後片付けも、前例にないほどスムーズで早くこなせるように。練習ではいくつかのメニューを伝えると、ローテーションを組んで子どもたちなりに考えて実践し、𠮟咤激励も選手間で。また学年やチームの隔てなく、フレンドリーに接することができるというのも、彼らの取柄のひとつになっています。
一体感は、保護者にも及んでいます。たとえば、グラウンドの草むしりや(柏市)連盟の大会の会場設営。私は前チームの時代から率先してやってきていますが、今では豊上の6年生の保護者が一番に手伝ってくれるようになりました。
時と場合に応じて考えや判断を選手個人に委ねるのも原口流。平日練習の着衣も自由に
成績としては県大会で敗退し、夏の全国大会(全日本学童)の連続出場が「3」で途切れてしまいました。突出した選手はいない中で全体を底上げしつつ、チームワークで勝ちにいきましたが力及びませんでした。
私自身の力不足も実感せずにはいられませんが、まだ役目は終わっていません。今週末は千葉県ろうきん杯(ろうきん旗選手権大会)の準決勝と決勝。2年間、率いてきた選手たちと最後の大会、悔し涙ばかりでなく、うれし涙も経験させてあげたい、との一心です。
身内のような理解者
「やりたくても、やれない人もいるんだよ! その中でチャンスをもらったんだから、ありがたく受けてみたら!?」
ちょうど1年前のこの時期。代表チーム監督の打診を髙野から受けたときに、真っ先に相談してそういう助言をしてくれたのが、熊谷グリーンタウン(埼玉)の斉藤晃監督でした。私をこのリレートークで紹介してくれた名将です。
私も2022年には、全日本学童大会も髙野の計らいでマネジャーとしてベンチに入らせてもらいました。でも、一指導者(コーチ)と監督とでは役割も責任も違います。しかも豊上に来てまだ2年目の自分が、他のコーチ陣を差し置いてそんな大役を受けていいものか…。
逡巡する私の背中をまず、強く押してくれたのが斉藤監督。そして、大きな支えとなってくれたのが、現チームの背番号29の黒田秀樹コーチ、同28の斎藤欣也コーチでした。年齢も在籍年数も上の両コーチは、監督就任当初にこう言ってくれました。
「豊上だから、どうしても勝ちが求められてしまうだろうけど、それだけに固執する必要なんてないです。それより大事なこともあると思います」
この言葉でどれだけ肩の力が抜けて、心も楽になったことか。絶えず支えてくれている2人には、感謝しかありません。
昨秋は千葉県を制して関東大会に出場。選手たちを平均値以上に成長させて挑んだ今夏は県大会で敗退、全国出場はならなかった
斉藤監督は私の3つ上の兄の同級生で、小・中の先輩にあたります。小学生のころの斉藤さんはとにかく足が速くて、運動会ではヒーローに。高校ではラガーマンになって花園(全国大会)に出場されたのも、脚力を存分に生かされたのだろうと察しています。
3歳差は小4と中1、中1と高1というように、学校生活で被りませんよね。なので、小学校のソフトボールも中学の野球部も、私は斉藤さんと同じチームでプレーしましたけど、会話も含めて接点がまったくありませんでした。
それが今は、毎週のように電話したり、何でも話せる間柄に。斉藤さんは私の実家の両親のことまで気遣ってくれたりと、親戚や家族のように私は思っています。
親密になっていったのは、互いに学童野球の指導者になってから。じっくりとお話したのは、吉川ウイングス(埼玉)が主催するローカル大会の懇親会が最初だったと思います。それからは練習試合や食事をする機会も増えてきました。
指導者としても、斉藤さんに少なからずの影響を受けてきましたが、驚いたのは初めて練習試合をさせてもらったとき。グリーンタウンはすでに県外に轟く強豪でしたが、チームとしてのまとまりや一体感に圧倒されました。各学年ではなくチーム全体です。当時5年生の遠征試合でしたが、6年生から1年生の選手、保護者に指導者まで、たくさんの挨拶でお招きいただいたことを今でも鮮明に覚えています。
斉藤さんは昔から温厚で、怒鳴りまくるような指導者ではありません。それでいて、指導陣と選手はもちろん、保護者やチームスタッフも含めて一丸のムードがあり、それぞれの関わりにバランスがとれていることも読み取れました。
これからも大いに学ばせていただきたいと思っています。公私にわたって、変わらずお付き合いをさせていただければと願っています。
天然の天才的な情熱家へ
私からバトンを渡す髙野について――。同じ市内の別のチームにいたときと、同じチームに入ってからと、印象も何もまったく違う部分がありません。よく言えば、これ以上はいないという「情熱家」。少しイジった言い方をすれば、アニメ『ドラえもん』でおなじみの「ジャイアン」ですね(笑)。
小学生にとってはもう、お爺ちゃんに近い年齢ですけど、同じ子どもの目線で野球を教えることができる。言っていることが子どもにもわかりやすい上に、腑に落ちることばかり。それも友だちみたいな感じで伝えることができる。
試合中は目の前の結果に対して、何かと指摘する指導者が多いと思いますけど、髙野にはそれがない。注意でも助言でも、プレーをする前、展開が動く前にしているんですよね。そして予言や忠告の通りになることが多々。このあたりも含めて、他の指導者にはとても及ばない能力を持たれている監督、指導者です。
豊上を全国トップクラスに押し上げた髙野監督は、この2023年度は自ら3年生チームの指揮官に。その真意はインタビューで➡こちら(クリック)
厳しさもある一方で、天然で子どもっぽくて憎めない。たとえば、大会の開会式になって、前年の優勝旗と優勝カップを忘れたことに気付いたり。練習試合のダブルブッキングも頻繁に。お酒を好まず、食べるものはお子様ランチ的なものばかり。そして「ジャイアン」とは好対照な美声の持ち主…まだいろいろありますが、次期「総監督」ですから、威厳を損なわないように(笑)。
そんな髙野へ私からのメッセージは、『力不足で申し訳ありません!』の一語に尽きます。今年度は自ら3年生の監督に就いた髙野には、選手と持ち上がりで代表監督に戻るまでに、全国で勝つための残りのピースを探そうとの目論見があったのだと思います。しかし、来年度からは総監督という新たな立ち位置になり、各学年を見渡す労力はかなりの負担になるだろうと察しています。
私は同じチームの指導者の一員として、その手助けができるように努めます。でもその前に、今の6年生たちと最後の卒団まで、全力でがんばらせていただきます。最後にもうひとつだけ。
健康診断、行ってくださいね!