学童野球チームが4ケタの1000を超える都道府県は、北海道のほかに東京都しかない。2020年、その東京で4年生大会を制した町田玉川学園少年野球クラブは、2年後の22年夏の全国出場は果たせずも、年末のNPBジュニアトーナメントでは5人もの選手がプレーした。チームの代表も兼務するOB監督の手腕がその都度、評価されてきたが、この2023年度は3年生チームの監督に転身。果たして、その真意や意図は――。
【質問⓬】
▶チームの育成指導計画
▶時間をかける育成のメリット
▶チーム内の指導者の配置
▶個人の指導経験と実績
▶具体的な育成法(例:走塁)
▶過去2回の4年間指導
▶影響を受けた恩師の究極
▶目標設定の考え方と方針
▶NPBジュニア輩出の背景
▶参加大会を絞り込む理由
▶学年別に求めるレベル
▶卒団後の野球継続率
※インタビュー本編動画16min⇩
きくち たくへい
菊池 拓平
東京・町田玉川学園少年野球クラブ
3年生チーム監督兼代表
オレンジ色が2022年度の6年生で、菊池監督の教え子2世代目。4年生で東京王者となり、5、6年でも都大会に出場している
学童野球の指導者となって12年目。昔も今も、息子や娘がチームにいるわけではない。もちろん、ボランティアだ。町田玉川学園少年野球クラブの菊池拓平監督兼代表を突き動かしているのは、自身も世話になった古巣の役に立って存続・繁栄させたい、という想いひとつだという。
先駆的な理想と確かな歩み
後にも先にも、自身の親子関係など私情をチームにまったく持ち込んでいない。この点で、国内の大多数の学童チームの監督やコーチとは決定的に異なる。掲げる理想と振り返りの言葉に嘘がなく、先駆的なのはそのせいも大いにあるだろう。
「高校や大学で野球を満喫できる選手を育てたい、というのがベースにあります」(同監督)
大人一人が、きれいごとをどんなに吐いたところで、理解・賛同してくれるスタッフがいて、ついてきてくれる選手と保護者がいないことには学童野球チームは立ち行かない。町田玉川には50年もの歴史があり、菊池監督にはすでに10年を超える指導実績がある。
経験則に固執せず、自ら学んで育成指導法をアップデートしていく菊池監督。昨年の練習時(6年生)は、豊富なメニューから誰が何をどの順番でやるかまでが事前に掲示されていた
チームは1973年(昭和49年)に創立、その前年に生まれた菊池監督は満51歳になる。半世紀前といえば、戦後ニッポンが高度経済成長によって「世界の豊かな国」に仲間入りを果たそうかという時期。野球の人気は国民レベルで高まるばかりで、スポーツ界では成功者たちの根性主義やスパルタ指導が美談として報じられ、教育の一環として正当化されて全国の津々浦々まで広まっていくことに。
町田玉川は地元の2人の小学3年生の野球熱が発足の契機だったというが、半世紀が経ってOBが代表を務める今日も、変わっていないベースがある。3年生から上に各学年監督を配して、そのまま1年ずつ繰り上がっていくシステムだ。
指導者の体罰や暴言、威嚇や罵声などがまだ当たり前の時代に野球に興じてきた菊池監督は、それらの負の伝統を古巣から一掃しつつ、4人の学年監督が4年周期でローテーションしていく体制を維持している。
「育成を急がず、時間をかけるからこそ選手と監督でわかり合える部分もある。またそれがあることで、普段は出ないような力が出ることもあると思います」
3年生と4年生の合同練習時は、かじ取りは4年生の監督に一任。菊池監督は意図してサポートや見守りへ
菊池監督が脚光を浴びるようになったのは2020年の年末。4年生以下の東京王者を決める大会、マクドナルドジュニアチャンピオンシップ(通称「ジュニアマック」)でぶっちぎりの強さを見せつけて初優勝に導いたのが始まりだった。
チームも個々もじっくりと
大きな注目と期待を集めたこの世代は以降2年間、まさかの無冠で全国出場もならずに終わった。「大人が『勝ちたい』『勝たせたい』という思いが、どうしても強くなってしまった」と、潔く自身に非を向ける指揮官は一方で、また脚光を浴びることに。
2022年の年末、NPB12球団ジュニアトーナメントで、町田玉川の注目世代の5選手が3つの球団でそれぞれプレーしていたからだ。NPBジュニアは1球団につき選手16人、近年は人気も競争率も高まってセレクションを突破するのは至難となっている。また、菊池監督の教え子第1期生が現高校2年生で、6年時にU12侍ジャパンでもプレーした矢竹開(神奈川・桐光学園高)が早くも突出した活躍を遂げていて「2024年度のドラフト候補」にも挙げられている。
教え子1期生の出世頭は現・桐光学園高2年の矢竹開(やたけ・かい)。6年時はU12侍ジャパンやヤクルトJr.でもプレー
菊池監督は、全国出場を果たせなかったことの言い訳で「個の育成」を持ち出すことはない。また、個人の出世をチームの目標として掲げているわけでもないという。
「高校や大学で活躍するような選手が、(学童時代に)NPBジュニアに入ってもおかしくないし、途中(学童)で全国出場したらカッコいいよね、というスタンス。大人が一緒に目標設定をしてあげることが大切で、目標はチームと個人にそれぞれあっていいと思います」
恩師・桐光学園高の野呂雅之監督(中央)の30周年記念会での一枚(2016年)
小・中と町田玉川でプレーした菊池監督は、強豪私学・桐光学園高で甲子園出場はならずも、3年春に一塁手で神奈川8強まで進出。その後、松井裕樹(楽天)らを輩出しながら甲子園に春夏計5回導いている名将・野呂雅之監督に、同じ指導者として共鳴しているという。金言とも言える中身はインタビュー本編(動画)で。
学童界の現状へ一石?
千葉・豊上ジュニアーズの髙野範哉監督(※シリーズインタビュー①→こちら)。今年から3年生チームの指揮官に転じた2人には面識もあり、練習試合で対戦経験もあるという。6年生チームの監督を降りた理由はそれぞれ異なるが、「時間をかけて、じっくりと選手・チームを育てたい」という願いは共通していた。
勝利至上主義とは何なのか。定義も解釈もいろいろだが、2人の願望がそこから遠い場所にあるのは間違いない。彼らの今回の身の振りが、息子や娘と卒業してしまうことの多い、世の父親監督・コーチに何かしらのメッセージにはなるまいか。
しばらくの間、6年生主体の学童野球の最前線で両者の采配を見られないのは残念だが、遅くとも3年後の2026年には復活するはず。その夏の全国舞台、天下分け目の頂上決戦では2人が対峙しているのかもしれない。ありえないほどの信頼と絆で結ばれた選手たちを、それぞれに従えて。
(大久保克哉)